Calling - メグ to クリスティーヌ -
クリスマスから新年までの短い間、オペラ座は若い踊り子たちの嬌声と楽屋裏の 活気ある喧騒と
そこここで挨拶と一緒に交わされる、シャンパンやワイ ンの香りに包まれる。
贈り物のリストとにらめっこしながら控え室に入ったわ たしに向かって、真っ先に鈴を振るような声がかけられた。
「メグ、メグ！新年の衣装が届いてるわ。後で一緒に着 てみましょ？」
マリアンヌの声ににっこり笑ってわたしは応えた。
「今年は予定通りに持ってきてくれたのね、よかっ たぁ。
去年はぎりぎりまで仕上げてくれなくてやきもきした もの…クリスのも届いているかしら？」
マリアンヌは伝票をさっと確かめてからウィンクしてみ せた。
「ええ、彼女にも伝えておいてね」
最近、彼女は控え室にいないことが多い。
周囲には個人的にレッスンを受けているからだと説明し てるけど、わたしは知っている。
…彼女に「音楽の天使」がやってきたのだということ を。
「音楽の天使」の正体はわたしにもわからない。
彼女に聞いても、少しおびえるように…曖昧に笑うだけ だ。
「メグ…あなたにはお話してたでしょ？天国のパパが約 束を 守ってくれたのよ。
大丈夫、なにも心配はいらないわ」
そうは言われても、はじめはとても心配だった。
蜂蜜色の黄金の髪に、北欧の森の奥深くにひっそりとた たえられた湖のような蒼い瞳。
コマネズミのようにちょこまかと動き回り、お菓子をつ まんではおしゃべりし歌い笑いあうダンサーや
コーラスガールの中でどちらかというといつもひっそり と目立たないようにいる彼女。
オペラ座にやってくる芸術以外を目当てにする自称他称 の紳士たちの中には
わたしたちを目当てにやってくるのも多いし、それを 待っている子、そのために自身を磨く子がいるのも事実。
どこか儚げな雰囲気のある彼女に熱い視線を送る殿方も 少なくはない。
もっとも、彼女は気づかないふりをしているか、困った ように微笑んで誘いを断るしかしないけど。
わたしと常に一緒にいるようになってからは、あからさ まな誘いも少なくなって嬉しいと
冗談めかしながらも心底ほっとしたように言ったことも あったっけ。
…自身の名誉のためにも言うと、わたしだって誘いが少 ないわけじゃない。
ちょっと暗めなのが気に入らないけど、栗色の巻き毛と 青みがかかった緑の瞳は亡くなったパパ譲りらしい。
ママはパパの思い出をあまり話したがらないけど、１度 だけこう言ったことがある。
「あなたの中にパパが生きてるから…ママは寂しくない の」
黒髪とハシバミ色の瞳のママはいつも長い髪を きっちりと結い上げ、喪服にも見える黒服を脱いだことがない。
厳しいけど綺麗な横顔は昔、このオペラ座でバレエダン サー として踊っていた頃の面影があるとレイエ先生が言う。
髪の色や目の色は似なかったけど、踊るのに申し分ない 強くてたおやかな身体はまさに母親譲り、
踊りに関するセンスや才能は母親以上だとも。
「それ以上に母親譲りなのは、その性格さ。
ちっちゃくて甘い砂糖菓子みたいな見てくれにだまさ れて、誰も気づこうとしないが…ね」
…"だまされてる"は余計です、先生。
元ダンサー、そして今はバレエ教師としてのママがいる おかげで、わたしはオペラ座の中で育ったようなもの。
綺麗だけど、その奥深いところにいろんなものを隠しこ んでいるオペラ座の中、誰よりも上手く立ち回ることが
できたのもママのおかげといっていいだろう。
ちょっとした華やぎが欲しいだけの安全な紳士には、仔 猫のようにコケティッシュな笑顔を。
おいたをしそうな火遊び好きの坊ちゃんにはにっこり 笑ってぴしゃりとお仕置きを。
楽しいことばかりじゃないのは事実だけど…それでもこ のオペラ座に集う人々に可愛がられて
今のわたしがあるし、わたしの努力を好ましく思ってく れる人たちがいるから頑張ることができる。
いつかはなれるだろうか…プリマのラ・ソレリ嬢のよう に、その腕のひとふり、
ステップひとつで人々を魅了するエトワールに。
いまや一番の親友…周囲からは「メグはクリスのママ」 なんて呼ばれてるけど…クリスティーヌはどうなんだろう。
「わたしはプリマに、あなたは歌姫に」と言った時、 困ったように微笑った彼女。
少し線が細いけど、音域が広くてかろやかな彼女のソプ ラノ。
彼女にもう少し、自分への自信と欲が出れば、もっと上 手くなることだってできると思う。
女王のようにオペラ座に君臨するカルロッタとは違っ た、歌姫にだってなれるかもしれない。
カルロッタが艶やかに凛と咲き誇る真紅の薔薇なら、 彼女は湖のほとりで
ひそやかに咲く百合の花みたいだけど。
薔薇に百合が負けているなんてわたしは思わない…どち らもそれぞれに美しいのだもの。
そんな彼女に、「秘密」ができた。
誰よりも彼女に近いけど…わたしですらその秘密を完全 に共有はできない。
今だって心配でたまらない。
できるなら、彼女をもっと問いつめてすべて聞かせても らいたくてたまらない。
もし、彼女がだまされていたら。
相手が「音楽の天使」などではなく、彼女目当てに天使 を演じている卑劣な男だとしたら。
もしそうだとしたら、不思議なほどに天使の存在を信じ きっている…
待ち続けている彼女を傷つけるなんて絶対、絶対に許せ ない。
そんなことを考えながら、今は使われていないレッスン 室のひとつへと足をむける。
きっと、今の時間なら彼女はそこでひとり歌っているは ず。
それを聞いた瞬間、文字通り「雷に打たれたよう」にわ たしは動 けなくなった。
誰よりもよく知ってるその歌声が…まるで別人のようにも聞こえて。
いえ、人じゃなくて…それはたとえるなら「天使の歌 声」。
「音楽の天使が来た」のではなく。
あなた自身が「音楽の天使」だったの？…クリスティー ヌ。
外に盛大に漏れ聞こえるのを気にしているのか、控えめ にながれてくるその歌声は
磨きこんだクリスタルガラスのように蒼く澄み切って、 オペラ座の片隅から聞こえてくるよりも
いっそ、大聖堂のステンドグラス越しに聞いたほうが現 実味がありそうなくらいで。
やがて、彼女の歌声にあわせて、もうひとつの声が歌い 始めたとき、
わたしの頭の中はもう真っ白で、何も考えられなくなっ てしまった。
これこそ…「人間」の声なんかじゃない。
クリスティーヌの言ったとおり、「音楽の天使」は本当 にいたのだ！
どんな形容も子どものたどたどしい説明みたいになりそ うで表現なんかできない。
こんな声を持つひとがいるわけないし、ましてや下心を 持ってクリスに近づく
殿方たちであるわけがない。
本当に…「音楽の天使」はきたのだ。
待っていた…長い長い間待ち続けた彼女のもとに。
いや、待ち続けたからこそ、来たのだろう。
彼女のパパの願いと彼女の魂からの呼びかけに応えて。
クリスティーヌ。
このまま彼女と天使の間に入り込むわけにはいかない。
けど。
このまま、彼女が天使に導かれてどこかへ消えてしまい そうな気もして。
無意識のうちに心の中で必死にわたしは彼女の名前を呼 び続けていた。
クリスティーヌ。
クリスティーヌ。
クリスティーヌ…
どれだけ時間が経ったのだろう…実際には10分と経っ てなかったのかもしれない。
誰かに肩を叩かれたような気がして顔を上げると、不思 議そうな顔をして佇む彼女がそこにいた。
「どうしたの？メグ…こんなところでぼーっとしている なんてあなたらしくないわ」
あわてながらも、わたしは手ににぎりしめていたままの 紙切れを思い出して、
それをひらひらさせながらしかめっつらをしてみせた。
「ぼーっとしたくもなるわぁ。見てよクリスこの長った らしい名簿ぉ。
クリスマスと新年の贈り物なんだけど、あなたの意見 も聞きたくて探していたのよ。
で、うんうんうなりながら歩いてたら、目の前に今、 救いの女神さまが現れてくれたってわけ」
くすくす笑いながらわたしの手元のリストを覗き込む。
「メグのセンスなら、誰も贈り物の中身に文句なんて言 わなくってよ。
あのシャトレ先生だって、去年褒めてくだすってた じゃないの」
バレエ団の専属ピアニストで、気難しいことで有名な先 生の名前をあげていたずらっぽく笑う彼女。
「クリス、ずいぶんとご機嫌ね。いいことあったの？」
「ええ…」
陶磁器のような白い…いつもは少し青白いくらいの頬に うっすら朱が入る。
「"天使さま"に歌を褒められたのね？」
少し眼を見開いて。
「メグったら、どうしてわかるの？」
少し胸をそびやかして、ウィンクをしながら断言してみ せる。
「クリスのことですもの、このメグ・ママがわからない わけないでしょ？」
そう言った途端、嬉しそうに抱きついてきたクリスを受 け止めそこなってよろめいてしまう。
思わず、顔をみあわせて吹き出してしまったわたした ち。
彼女の曇りのない笑顔を見て、決めた。
もう少し、このまま見守っていこう…彼女の笑顔が輝い ている限り。
だって、クリスにはいつでもわたしがついているんだも の。
…うん、大丈夫。
根拠があるわけじゃないけれど、わたしはそんなことを 思いながらその名前を口にする。
「クリスティーヌ」
自分の名を呼ばれると、少し首をかしげるようにしなが ら彼女は嬉しそうにわたしを見つめる。
…この表情がとても好き。
「マリアンヌがね、新年の衣装ができてきた から一緒に試着しましょうって」
にっこりと彼女が笑った。
＜Fin＞
「あとがき」と言う名の悪あがき。
メグから、クリスティーヌへの「Calling」。
うちの「ちっちゃなメグ」は、ワタシの紡ぐ一連の物語（「二人のノルン」「Dｉva〜緋薔薇の姫君〜」）を通じて、
こーいう性格のお嬢ちゃんです。
いつでも前向きであろうとして、ちょっぴりお節介なくらい世話焼きで、周囲からとても頼られてるように見えて…
実は、自分も頼ってくる相手に結構精神的に依存してるかもしれない（苦笑）
頑張る母・ジリィ夫人の背中を見て育ってきた、「いい子」が陥りやすい一面かもしれませんね。
さてさて。
舞台の中でのクリスとメグ。
これだけでひとつ「たわごと」が書けそうな、二人の関係。
母を早くに亡くしたクリスティーヌ・ダーエと、父を早くに亡くした（？）メグ・ジリィ。
何かとクリスの世話を焼き心配をするメグと、彼女にだけは心を開いているクリス。
「Ａｎｇｅｌ ｏｆ ｍｕｓｉｃ」や「"ドン・ファンの勝利"の稽古」で、手をとり、互いに見つめ合いうなずく二人の少女は、
この年頃の少女たちにありがちな、他のものを寄せ付けない世界…互いに憧れ、距離を縮めるべくあらゆるものを
排除し誰よりも身近にいようとする…傍からは同性愛めいた雰囲気にも見えてしまう危うげな結びつきを
かいま見せているような気がします。
そんな彼女たちだからこそ、「音楽の天使」の訪れを受けて、変化していくクリスにメグが気づかないわけがない。「♪い〜つの間にそ〜んなに上手くな〜ったの〜？」
…なーんて絶対あり得ないってばさ（爆）
きっと、うすうす気づきながらも見守っていたのではと思いつつ、なぜかクリスマスにからめて書いちゃいました。
…よくよく考えたらクリスマスでなくてもいいんですよね〜（汗）
はたと思いついたのが23日の朝。
気がついたら昼にはもう書きあがってました。
最近、モノカキの天使さまのすることはとても突発的かつ強引でございます…
Ｃａｌｌｉｎｇ。
呼びかけ…呼びごえ。それは声に出すだけはない、魂の底からの「呼びかけ」でもあり「求め」でもあ り。
メグからクリスへ。
クリスから「音楽の天使」…ファントムへ。
そして、ファントムからクリスヘ。
Ｃａｌｌｉｎｇと名づけられた、とてもとても短い物語。
近いうちに、またお目にかけられるかもしれません。
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