Diva　〜緋薔薇の歌姫〜
 
 
 

＜intermezzo　〜 間奏曲〜�T＞
 

 
オペラ座と同じく、わたくしも開店休業状態…実際には事件のあらましを聞こうと社交界 のサロンや夜会、
あちこちでお呼びはかかっていたのだが、事件のショックからいまだに体調がすぐれないという理由で
それらは男爵家の名前で丁重に、だがかたっぱしから断わられていた。

オペラ座も新たなシャンデリアの作成と、客席の修理で最低でも３ヶ月は幕を開けることが出来ない。
その間、他の劇場での出演依頼もあったものの、不思議なほど舞台への意欲はわかなくて。


必要なレッスンは欠かさなかったものの、これといってすることのない日々を過ごすなんて
とても久しぶりのことだ。

「今までが忙しすぎたったんですよねぇ…」

のんびりと故郷の父母へ手紙を書いていたわたくしにお茶を運びながら、マダム・シャトレがため息混じりにひとりごちる。
日付と署名をしたためて、ペンを置いたわたくしは、手前に置かれたカップを取り上げた。

「何もすることがない のもなんだかいやだわ。まるで誰にも必要とされていないみたいだもの。」

「何をおっしゃってる んです、このお休みが期限付きなのはお嬢様がいちばんよくご存知のはずでしょうに。
　いい休暇をいただいたと思って、のんびりしてくださいませな。
　いっそ、この機会に少しお里帰りでもなすったらよろしかったのに」

「…冗談でしょ。
そのまま屋敷のどっかに閉じ込められて、帰って来られなくなること請け合いだわ。
今だって、いいかげんに１度は帰って来いと泣き落としな手紙に返事を書いていたのよ？
そのうちお父さまあたりが明日にでも死にそうだから…なんて仮病でも使うんじゃないかと
思うと気が気じゃないのに」

ため息まじりにお茶をすするわたくしを、めっ、とたしなめながら

「それだけ、お嬢様をご心配なすっているということじゃあございませんか。
少しはお気持ちをお汲みなさいませ」

はいはい、と返事をし つつ手紙に封をする。
ポリーヌを呼んだマダムが手紙を渡すと、一礼して去ろうとした彼女が
ふと部屋の時計を見て不思議そうにつぶやいた。

「今日も、お見えに なっていませんね…」

ジェラールはなにかと やってきては気分転換と称して私を連れ出そうとしていた。
クリスタル・パレスの花火を見にロンドンまで行こうと言い出した日にはさすがに眩暈を感じてしまったけど。

夏の社交シーズンだけ打ち上げられるそれはとても見事なもので、ガラスと鉄骨だけで作られた
その名の通りに美しいクリスタル・パレスに花火の光が反射する様はため息が出るほどらしいのだが…
今はまだ、あのシャンデリアを思い出させてしまいそうで。

それでもジェラールの 気持ち…自身が用意したものをまんまとファンとmぬいを思うと、無碍に断るのもどうかと思ってしまい曖昧な返事を
してしまってからもう１週間は経つだろうか。

ロンドンで初めての博 覧会という催しがあったのはわたくしの生まれるずっと前…1851年のことだ。
それから、このパリでも何度か博覧会はあったが、終わった後も壊すに忍びなくて
莫大な費用と労力をつかって郊外へ移転、今も隆盛を誇っているのはクリスタル・パレスだけだろう。
世界中の珍しく貴重な花々や植物を集めた植物園やコンサート・ホール、美術館に博物館と
様々な施設が揃い、今も多くの人々が訪れているという。

あけていた窓を閉めよ うと窓辺に立ったマダムが外を見てくすりと笑った。

「…どうやら噂が先触 れ となったようですわね」

つられて窓辺に近づく と、窓から見える表通りに見慣れた紋章の馬車がやってくるのが見えた。
馬車から出てきた彼は、スマートなディットーズにボウラーハット、華奢な銀の握りがついた
ステッキを小脇に抱えて、まっすぐこちらへと向かってくる。

どう見たって２・３日ちょっとそのへんへ…では済まなさそうな旅支度のいでたちに、
「いやーな予感」というものが確実に的中してしまうことを感じ、こめかみを押さえてしまった･･･頭が痛い。 

ものの５分も立たずに部屋へ…勝手知ったるなんとやらとばかりに入って来た彼は、荷物を持ったフットマンを1人 従えていた。 

「姫君にはまことに申し訳ないが、あまり時間がなくてね。
詳しい話は汽車の中で納得いくまでじっくり話すから、お召し替えを願ってもいいかな？」

うやうやしく持ってき た荷物は･･･旅行用のドレス一式に流行りのベルギー・レースを
たっぷり使った帽子と、同じくふんだんにレースを使ったパラソル。

この調子だと、旅行に必要な荷物はなにも持たなくていいと言うに違いない。 
まじまじと荷物を見つめたわたくしにむかって、へらっと彼は予想通りのことを言ってのけた。 

「ああ、もちろん君が用意するものも手を煩わせることもなにもないよ。
　お召しものを替えていただく以外はね？」

後ろでマダムが笑いを こらえて震えているのがわかる……完敗だわね。 

小一時間という驚異的な早さで支度をすませたわたくしとジェラールを乗せた汽車は
カレーの港へ向けて軽快に進んでいく…行き先はやはりロンドンらしい。
祖父の代から懇意にしているスカンジナビアの貴族がおしのびで滞在しており、招きに応じて
会いに行くのが主目的というが、どちらかというとわたくしをロンドンへ連れ出すための
「口実」という気もしなくはなく。

ここまで来てしまったら厚意はありがたく受けるしかない。
汽車がカレーに到着したのは、日差しもだいぶ傾きはじめた夕刻。
すでに手配されていた船には男爵家の紋章が入った大きなトランクがいくつも積み込まれ
主人の乗船を待っていた。

頬をなでていく海風は、不思議な香りがした…これが潮の香りというものなのか。
生まれてこのかたあまり海には縁のなかったわたくしの目の前で、カレーの海は
青灰色の大きなうねりをたたえて横たわり、その水面をかすめて白く大きな鳥が
何羽も飛び交っていた。

泳 ぎが得意な人ならば、泳いで渡ることができるのだとジェラールが汽車の中で言っていたのを思い出す…
泳げないわたくしには到底想像のできないことではあるけれど。

初めて訪れる大英帝国へ向けて、しばしわたくしは船上のひととなった。

  ＜閑話休題なあとがき＞

放置状態にしている うちに、ずいぶん前から世の中は19世紀末ブーム。
ヴィクトリアンファッションだの、メイド喫茶だの執事喫茶だの(コラ)森薫さんの「エマ」だのと
巷にいろんな情報があふれるようになってしまいましたね(汗)
ストーリー自体は「いっちょ気晴らしにカーラさんをロンドンにでも連れてくか」というくらいで…
まぁ、19世紀のパリよりはロンドンのほうが得意分野だしなぁなんて暢気に思ってるうちに『エマ』の
おかげで、万博やらクリスタルパレスやらもすっかり知名度がアップしてしまい、下手なことが
書けなくなってしまいました(爆)　
しばらく、ファントムさんが出てきませんが(ぉぃ)おつきあいいただけたら幸いです。
 
 

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