ほしにねがいを。
「あまりおもてなしもできなかったが、そろそろお帰りかい・・・？」
帰ってくるなり、ぼそりと彼がつぶやいた。
さすがに、いきなり外出支度で出迎えるのはまずかったか。
むっつりだまりこんで立ち尽くしているのを見たら、ちょっとため息が出る。
「ここ以外、今のわたしのどこに帰るところがあるというのかしら？」
お帰りなさい、の意味をこめてそっと駆け寄る・・・うっ☆つめたい。
この調子じゃ、外は冷えているようだ。
「外に・・・できれば、星がよく見えるところに連れていって欲しいのだけど？」
「･･･星？」
「ええ、ここの屋上でもいいし、裏の森でもいいんだけど…できれば空が
よく見えるところがいいの。」
「だったら屋上だ･･･しかし、ここからは大変だよ。大丈夫かい？」
確かに。
地下５階から地上十数階を経て屋上に･･･というのはかなりイヤかも。
「だーかーら、この格好なの。階段を昇りやすいようにね。」
そう、いま身につけている服は、私がここに来たときのもの。
この時代の女性なら間違ってもしないはずのズボン姿。さすがに上はそのままでは
寒すぎるので、スタッフジャンパーの下には毛織のカーディガン、上にはにショールを
巻きつけてはいるけれど。
「その格好で寒くないかな？」
「あんまり着込んだら、たどり着くまでに汗かいちゃう。これくらいで充分でしょ」
まじまじと上から下まで私を見て。
肩からかけている袋に目が止まったらしい。
「で、その荷物は？」
「ないしょっ☆では、連れてってくださるかしら･･･ムッシュウ？」
すこしため息がまじってたのは気のせいではないはず。
「･･･姫君の仰せのとおりに。」
そこから屋上までの長い長い道のりは･･････思い出したくもない。
準備もなく山にでも登ったような気分といえばいいんだか。
高山病にならなかっただけ、マシかもしれない･･･アレはホントにツライ。
そこまで大袈裟な表現をせずとも、高層ビルをエレベータ使わずに
昇るようなもの…と表現すりゃあいいのだろうが、なんせここはオペラ座。
舞台裏の狭い階段やハシゴのよーな階段、とんでもない急勾配を昇っていくのだから
ここはやはり山登りと表現させていただきたい。
「き・きつかったぁ･･･、運動不足の身にはかなり応えるぞ、と。」
「・・・だから大丈夫かと聞いたんだが？」
優雅な身ずまいを崩しもせず、当然息も切らさずに彼がつぶやく。
そりゃ、こんなところを日々人の目盗んで動き回っていりゃあ鍛えられもするわけで。
毒づきたくなるのをこらえ、天を仰ぐ。
21世紀ならば燦然と輝いてるだろうパリの町並みも、19世紀末では少しさみしげな
ガス燈の明かりがそこここに揺らめく程度。
そしてその上は･･･
満天とまではいかないが、ここが都会であるということを忘れさせてくれる星空。
「予想以上にたくさん見えているのね･･･４等くらいまでは見えてるかな？」
「星の明るさかね？」
「ええ、星には明るい順にランクがあるの、１等・２等・３等･･･という具合にね」
「瞬きが美しいね。夜空の闇を切り裂くような輝きだ。」
「冬は明るい星が多いから特にそう感じるかも･･･あ、あそこを見て？わたしの指の先。」
わたしの後ろにまわると、そっと身をかがめて肩越しにのぞきこむ。
「星がかたまって見えているのかな…？」
「そう、いくつくらい見えている？」
「６つはありそうだが…」
「プレアデスの７人姉妹。天を支える巨神・アトラスの７人の娘が天に昇って星になったと言われ てる。」
「７人もいるようには見えないが？」
「そう、６つよね。１人は人間の妻になったのを恥じて消えたとも、自分の息子の国が滅ぶ様を見 て
涙にくれてかすんでしまったとも言われているわね…実際には１００以上の星が集まっている
星の集団なの…ほら、これで覗いてみて。」
袋の中から取り出したのはオペラグラス。
「オペラグラスにこんな使い方があるなんて思いもしなかったね」
「わたしが初めて星を見るのに使った道具はオペラグラスだった。
倍率は低いから、たいして大きくなるわけじゃないけど、それでも夢中で見てた。
だから、こんな仕事を選んじゃったのかもしれない」
「だから…早く戻りたい？」
ふいに、後ろから抱きすくめられてしまう。
耳元で、少し怖いくらいの声色がささやく。
「それなりに、分別はあるつもりだよ・・・いつまでもこのままなんてありえるはずがない。
だが･･･正直、今のこの生活は悪くないと思っている。
しかし、君はそうでないというのなら、自分の浅はかな考えを改めなければならないね。」
口調は淡々としているが、まわされた腕の力は徐々に強くなっていくのが分かる。
・・・絞め殺す気かおい。
「エリック、流れ星を見たことはある？」
唐突な問いに一瞬の沈黙。
「・・・昔、あったような気がするが。」
「わたしの国ではね、消えてしまう前に３回、お願い事を唱えるか心の中で
念じると願いがかなうといわれているの」
「で、流れ星に願うのかい？早く自分の国へ帰れますように･･･って。」
「あなたとずーっと一緒に･･･って願う権利はわたしにはないと？」
一瞬、腕の力が緩められた隙に、腕をほどいて後ろをふりかえる。
暗くてよくはわからない彼の表情。
もっとも半分は仮面に隠れてるけど。
仮面にそっと手を重ねる。少し身じろいだが、何もいわない黒い影。
「正直、今だって信じられない思いで･･･もしかしたら自分は事故かなにかで
死にかけていて、ずーっと長い夢をみているのかもしれないってね。
でも、こんな夢なら悪くない、って思ってる。このまま覚めなくても
いいかもしれない･･･っ」
言い終わる前に、抱きしめられて言葉が途切れた。
「願いがかなうというのなら、朝までここにいようか？
その間にひとつやふたつは流れてくれるだろう？・・・天文学者殿。」
「ステキなお誘いだけど・・・もれなく風邪をひきそう。とりあえず座ってお茶にしない？」
足元に置きっぱなしの袋を開ける。
「とりあえず、スコーンと・・・携帯用ポットにミルクティつめてきた。
マフラー巻いといたから、まだアイスティにはなってないと思うんだけど？」
思いっきり毒気を抜かれてしまったらしく、しばらく固まったままの黒い影。
微かに震えているのは･･･やっぱり笑っているんだろうな。
座っても寒くないように、余分に持ってきた大きなショールを二つ折りにしてひく。
ま、二人くらいは座れないこともないでしょ。
先に座り込んで袋からモノをひっぱり出しながら説明する。
「・・・えっとね、もうすぐ東の空からしし座がのぼってくるんだけど・・・
今日って、しし座のあたりからたくさん流れ星が流れるかもしれない日
だったりするのよね･･･流れ星見るのにじゃまな月明かりもないし。」
「じゃ、スコーンでもいただきながら、願い事をいくつか考えるとするかね？」
声といっしょに、暖かいものが上から降ってくる。
気がつけばマントの中。
さしあたって、ひとつ目の願い事は
「風邪をひかないように」かもしれない。
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