ちいさきもの。
うわぁぁぁ。
大きなクモ。
アシダカクモだな･･･これはちょっと…いや、かーなーり…でかいぞっと。
ベッドカバーの上で、自分も模様のひとつと言わんばかりに
じーっとしている。
さすがに手ではつかまえられないしな･･･よし。
薄手のショールでそっとおおうと包んで部屋を出る。
居間を横切っていくと、当然だが呼び止められて。
「妖精でもつかまえたのかい？」
「そんなところかな･･･とりあえず、外に逃がしてあげたいんだけど？」
そっと、ショールをあけて中を見せる。
「ああ、こいつか･･･たしか連れがいるはずだよ。たいてい一緒だ。」
「あららら･･･じゃ、外に追い出しちゃうのはまずいか。
廊下で離しておいてもいい？
さすがにわたしの部屋の中をうろうろされるのはちょっと困る･･･」
巾着状態でぶんぶん振りまわすと･･･面白そうな表情でこっちを見てるのに気づく。
「どうしたの？」
「いや、クモが平気なご婦人というのもまた珍しいな、と思ってね」
･･･ははは、そりゃそうだろうな。
とりあえず、私の部屋から一番遠い廊下に離してやる。
さぞかし驚いただろう、固まってたクモは自由になったとたん
一目散にすたこら逃げていった。
居間に帰ってくると、いい香りがカップから立ち上っている。
珍しい･･･コーヒーなんて滅多に飲まないのに。
「古い知り合いに分けてもらったのさ。
向こうから取り寄せたものだからおいしいと思うよ？」
「･･･ペルシャのお知り合い？」
すこし、不機嫌そうな顔になったのは･･･ビンゴだな。
おそらく、ペルシャにおけるいわゆる「マザンダランの薔薇の時代」に
彼の監視役であり友人ともなった「ダロガ（警察長官）」だろう。
「･･･ああ、ここに来ることはまずありえないよ。
今でさえ私の領域に入り込み、いろいろと嗅ぎまわろうとしているのが
うっとおしくてたまらないのに･･･！
いまの静かな生活をかきまわされるのだけはごめんこうむりたいからね、
悪いが会わせるつもりはないよ？」
･･･ちっ、考えてたことがばれたか。
一口含むと、なんとも複雑な香りが広がる。
どちらかとゆーと、コーヒーは好きで飲むほうではないんだけど。
お子様と言われようが飲むならミルクは欲しい･･･でもこれは文句なしにおいしい。
「おいしいかい？･･･ふふっ、思っていることを私に知られたくないのなら、
もう少し、その幸せそうな表情を改めないとね？
そう･･･我が家に天使をかくまっているのをヤツに知られるわけにもいかない」
「･･･天使は天使でも堕天使かペ天使じゃない？」
あやうくコーヒーを噴き出しかけた彼が軽くこちらをにらむ。
「こんなのがいるのを知られるわけにはいかないわよね･･･たしかに」
間髪いれず否定する声。
「そうじゃない･･･違う。そんな風には思わないでおくれ。
まぁ･･･いわば･･･なんと言おうか･･･彼にはいろいろと世話にもなっているし
世話もしている。かかわりたくはないが、世にいる私の数少ない知人の一人と
いって言いだろうね。
だからこそ、知られたくないこともあるんだ･･･わかるだろう？」
彼らしくない物言い･･･ま、多少の「照れ」というやつもあるのだろう。
テーブルの上に、小さなクモが現れた。
よくよく、クモに出あう日だ。
小さなハエトリグモがピョコピョコとはねる。
手を差し伸べると、避けるかと思いきやひょい、と上に乗ってきた。
ちいさな顔にたくさんの目。
この世界がどんな風に見えてるのやら。
ハナシが中断したのにホッとしたのか、彼も手の上のクモに目を止める。
「やれやれ･･･未来のご婦人には怖いものなんてないのかな？」
「昔は、触るどころか見るのもイヤだったんだけど･･･
子どものころにクモを使ってかわかわれたことがあったみたい。
それからクモが無性に怖くてしかたがなくなって。
こんな小さなコでも、見かけたらその部屋にいられないくらいで…
かわいそうだけど、よく殺してしまった…」
「なんの害もないちっぽけな生き物さ･･･ご婦人の悲鳴を誘うほどに醜いってだけで ね」
少し冷たく、彼の声が響く。
「そう、害がないどころかヒトにとってやっかいな虫は食べてくれる。
“益虫”なのよね･･･って、この呼び方キライだけど。
人間にとって害があるとかないとかっていう基準だけで、そんな呼ばれかたされちゃたまら ない」
彼はだまって、コーヒーを飲んでいる。
何も言おうとしないのは、話の続きをうながしているから。
「私が住んでいた所は自然が豊かで、家の中にもさっきみたいな
大きなクモがよくはいってきた･･･この仕事をするために家を出て一人で
暮らしていたから、こんなときに誰も助けてはくれないのよね。
いるのが怖くて仕方ないくせに、その命をうばうのも怖くてイヤで･･･
今思えばホントに馬鹿だったと思う。何度か、自己嫌悪を重ねて･･･どんな生き物のどんな姿にも、意味がある。
だから、むやみに命を奪ってはいけない･･･そう思ったの。
慣れってこわいわよぉ･･･いまやこれだから」
手の上から逃げようともしないクモを見て、思わず笑ってしまう。
「どんな生き物のどんな姿にも意味がある･･･か」
自嘲気味に聞こえたのは･･･気のせいではなさそうだ。
「そう。基本的に生き物の外見･･･姿が美しいとか立派だとかは
何のためなのか、あなただってわかってるでしょ？」
いつまでも捕まえておくのもかわいそうなので、飾り棚の上に活けられた
白バラの上にクモをのせてやる。
「花だってそう･･･結局のところは次へ命をつなげていくため。
繁殖に関係のない他者から美しく見えようが恐ろしく見えようが、関係ないの。
自分たちがそうあるためにその姿をしているんだから」
「･･･花や動物にどう見られようがかまわない。問題は･･･」
音もなく後ろにまわり後ろからささやく声。
「人間（ひと）が人間（ひと）をどう見るか･･･ということさ」
うーん･･･鬼門に足をつっこんだかな、こりゃ･･･。
「時代や国によって基準なんていいかげんなものだけどね･･･
今から1000年前のわたしの国なんて、目がほそーくて下ぶくれで口が小さい女性が
美女とされてたし。足まで届く長い黒髪を持っていたら文句なしに『美人』の仲間入り」
ヒトの顔をまじまじと見た挙句
「君もその流れを汲んでいるのかな？」
「･･･喧嘩、売ってる？」
その場の空気が、ちょっとだけなごんだ。
「首が長ければ長いほど美しいとか、足が小さければ小さいほど美人とか。
所詮はヒトがヒトの基準を作っているだけ。
あなたもわたしもこの顔の下には同じものを持ってるし
体のひとつひとつを作る骨や血や内臓になんの変わりがあるというの？
･･･だいたい、そんなことを言うなんてあなたらしくもない。」
仮面から出ている顔を人差し指でつつく。
その手をそっと捕まえると、ため息をついて
「まったく、君にかかると自分の抱えるものがたいしたことではないように
思えてくる･･･滑稽な道化を演じている気分になるよ」
「少々無責任だけどね･･･でもね、わたしにとって“あなた”は“あなた”だから。
この世界であなた以外の人間に会ったこともないわたしにはあなたがすべて
みたいなものだし。
実際のところ、あなた以外の人間なんて関係ないし興味もないから･･･」
ここまで言った直後に思わず硬直。
さ･･･さすがにこれはまずい･･･誰が聞いたってこの物言いはちょっと･･･ねぇ。
「レディからの大胆にして熱烈なお申し出は、かくも嬉しいものだとは･･･ね」
そっと触っていただけの手に力をこめて艶っぽく彼が笑う。
面白がっているのは明白だ･･･人が悪いったらありゃしない。
わざと、私の口からそういう台詞がでるよう仕向けられたのは間違いなさそうだ。
･･･この知能犯め。
むーっとした顔もまた面白いといわんばかりに彼が笑う。
部屋を出て行こうとドアに向かったが、目と鼻の先に「あるもの」を見つけて回れ右、
思わず彼にしがみついた。
その様子に、あわてて彼が聞く。
「どうした？」
「･･･ごめん。あれはさすがに捕まえられない。
脚が多すぎるのはダメ･･･どこか外にだしてあげて。」
指差した先には･･･１匹の大きなムカデ。
どうして今日はこうもいろいろ部屋の中で出会う羽目になるんだろう。
「･･･さすがに、あれは刺されたりすると厄介だ･･･しばらくお待ち」
頭を軽くなでると、ステッキを持ちドアへ向かう。
こちらに背中を向けた状態なのでよくわからなかったが、おそらく
始末してしまったのだろう。外へ放しに行ったらこんなに早くは戻ってこれまい、
という時間で戻ってくる。
コーヒーを入れなおすとクッションに座りこんでいた私の隣へとやってきて、
ちょっと心配そうに顔をのぞきこんだ。
「大丈夫かい？君だって女性なのだから怖いものもあるってことを
忘れていたよ･･･すまなかったね」
カップを受け取って、肩をすくめながら微笑ってみせる。
「ううん、大丈夫。みっともないとこ見せちゃった･･･口ではあんなこと言ったくせ にね」
彼は軽く首を振って、カップを手にした。
「きみがあのちいさなクモを手にのせたとき、自分があのクモだったら･･･と
思ったよ。少し･･･うらやましかった」
･･･はい？
「きみの持つ視点は、君だからなのかもしれないし、君の時代にはごく普通の
ものなのかもしれない。非常識だと思うときもあるが、むしろそのほうが自然に
思えるときもあるし…とてもありがたく思えるときもある。
…かといって、クモに嫉妬するのは我ながらどうかと思うがね」
思わず、顔をのぞきこむ。
「で、やきもち焼いたわけ？」
ふっと顔をそらせて
「･･･さっきのセリフはウソだったと？」
「だって、クモはヒトじゃないし…」
･･･ホントにやきもち焼いてるんじゃなかろうな？
「…エリック？」
すこーし、顔が赤らんで見えるのは気のせい…じゃないな。
うう…かわいいけど、「かわいい」なんて言っちまった日にゃその後が怖い。
「手の上はムリだけど…これでお許し願えるかしら？」
彼からカップを取り上げると、上半身を思いっきりひっぱる。
頭が膝の上にすとん、と落ちて。
「…どうしてそう、力技で来るのかな、うちのお嬢さんは？」
「さぁ？」
仏頂面を装っているものの…口元が少しゆるんでいるのはご愛嬌というところか。
…まぁ、こんな昼下がりも悪くはない。
…創作の小部屋・２へ