…創作の小部屋・２へ
夢でもし逢えたら
いつも不思議だった。
深い深い哀しみを持つ人、重い十字架を背負う人を救うには、
自分も重い十字架を背負っていなければ救えないのだろうか？
哀しい過去を、深い心の傷を背負っていなければ、
救う資格はないのだろうか？
わたしには、あの人を救うことはできないのだろうか…？
･･････････。
…ああ、ドジふんだ。
気がついたら、きっとみんなにバカにされるんだろう。
どこの世界に、巣から落ちた小鳥のひなを巣に戻そうとして
自分が木から落ちるヤツがいるんだと。
仕方ないよなー、木に登るなんて生まれて初めてだったんだから。
そもそも私以外、男なんだから他の誰かがやってくれたってよかろうに。
なんやかんや理由をつけて、みーんな出払っちゃってるなんて。
まったくしょうがない…あ、痛みがしてきた。
そろそろ意識が戻りそう…ずきずき痛むのは生きてる証拠ってね…でも…痛いよぉ。
だれかが濡れたハンカチのようなものを額にそっとあててくれる。
うん、冷たくて気持がいい。
その気持ち良さに背中を押されて、私は目を開けた…のだが。
…ここはどこだ？
自分がいるだろう、仕事場の天井を想像していた頭の上に蛍光灯はなく。
優しい、流れるようなラインの模様に、花をあしらった壁紙。
なんて言うんだろう…そう、しいて言えばアール・ヌーボー調？
実際にはちょっと…いや、かなり違うな。でもこう、なんて言おうか…
いや、とにかくここはどこなんだ？
かなり頭の打ち所が悪くて、病院に担ぎ込まれたにしても、
こんな病院はあるまい。
最近は妊婦さん向けに、かなりゴージャスな産婦人科があると
聴いたことはあるけど…って、頭打って産婦人科はないだろ。
しばし、呆然としていたが、とりあえずよっこらしょと起きてみる。
長椅子に寝かされてたらしい。額にあてられていたのは、水で
ぬらされたらしいレースのハンカチ。
今どきこんなの持ってる人がいるのか、ってほど手の込んだレースが縁を
飾っている…少し黄ばんでいる気もするが。
頭はずきずきするけれど、そんなにひどく打ったわけでもないらしい。
首を回してみても、痛みは感じない…と。
頭をぐるっとめぐらせると、ドアのところに誰かが立っているのが、見えた。
…だめだ、やっぱり頭を打っておかしくなったのか？
それともまだ私は気を失ったままなのか？
その姿は…わたしが表現することをお許しいただけるなら、
仮装大会か結婚式帰りと茶化したくなるよな格好で。
黒のテイル･コート、手には黒い…マントだろうか？
なにより、私を口もきけないほど驚かせたのはその顔。
そりゃ確かに最近はまってる。劇場通いもお恥ずかしいほど頻繁だ。
だからって、そりゃないだろう…パニックを通り越して泣けて、いや
それすら通り越して笑いそうになる。
その顔の半分を覆う白いマスク。
おそらく…いや、そうに違いない。
でも、結論を出したくない。言葉にするなんてまっぴらごめんだ。
驚くでもなく、声をだすわけでもなく、ただまじまじと自分を見ている
だけの私に、警戒心より好奇心のほうが勝ったのだろう、
彼が声をかけてきた。
歌うような抑揚…げ、フランス語だよな、これ。
自慢じゃないが、英語だって日常会話すれすれあやしいものなのに、
フランス語なんてわかるかっ！
しかも、こっちへ向かってくるじゃないか……やめてぇぇ……え？
すっと差し出されたグラスの中には、４分の１ほどはいった琥珀色の液体。
また何か言って、さらにぐっと差し出す。
多分、飲めって言ってるんだろうな。
とりあえず、礼を言って（そりゃ「メルシィ」くらいは言えるさ）受け取る。
ふわっと香るアルコールの匂い。
たぶん、気付けのお酒ってとこか。
アルコールはどちらかというとあまり好きじゃないが…ここは飲んでおくか。
覚悟をきめてぐっと飲む…にがーい。
食道を熱いものが落ちてゆく感覚に、きゅっと目をつぶる。
「…気分は落ち着いたかね？」
まるで、これを飲んだのがスイッチといわんばかりに、
彼の口から純然たる日本語が飛び出す……もう驚く気も失せたね。
きっと、コレは夢なんだ。
こんな突拍子もない展開、夢でなきゃなんだというんだ。
リアルで突拍子もない夢はよく見る。
これもその夢のひとつ…なら、そのうち覚めるはず。
単純なもので、そう思っただけで気が楽になった。
「ありがとう…これもね。」
そう言って、空になったグラスとハンカチを渡す。
うけとろうと伸ばしてきた左手を見ると…血？
親指の付け根に、なにかでひっかいたような２cmほどの傷。
血が滴っているわけではないけど、かなりにじんで痛々しい。
おい、他人の手当てしてる場合か？
「ケガをしてるの？…ちょっと待って」
思わず、手をつかんだ…途端、手がびくん、と震える。
驚いたというよりは私の手を払おうとして、それを無理やり
抑えたってところだろうか。
グラスを脇に置くと、手にしたハンカチで傷をぬぐう。
刃物で切った、というよりは木の枝かなにかで引っ掛けた感じ。
「血は止まってるみたい…」
傷口をていねいにぬぐってから、ポケットに入れていたバンドエイドを取り出す。
「ちょっとはみだすかな…ま、いっか」
ガーゼから少しはみだしたものの、傷口が乾くまでの保護ならこれでいいだろう。
そっと貼りつけてから、手を放す。
「…いったい、どこからここへ入ってきた？」
貼られたバンドエイドを興味深げに見やりながら、彼は口を開いた。
…ふーん。
私の頭の中では、彼の声はこんな感じ、と思っているのか。
高すぎもせず、低すぎもせず。
頭のなかでふわっとくぐもるようで、不思議と耳の底に余韻が残る。
「わたしにもわからないと言ったら？」
「ご婦人のおっしゃることだ、信じてさしあげたいところだが、
私は超常現象を信じるたちではなくてね」
…魔術大学の卒業生のくせに？
喉まで出かけたセリフを飲みこむ。
いくら夢でも余計なことは言わない方が身のためかもしれない。
「本当に、わからない…さっきまで、自分の仕事場にいたんだもの。
小鳥のひなを巣へ戻そうとして、木から落ちたところまでは覚えているんだけど」
「いったい、どんなご職業についているのかな？」
あきれたような声…ほっとけ。
ふと、どうせ夢ならやっぱり遊んでやれ…という思いが頭をもたげる。
「何に見えるかしら？」
格好ではわかるまい…って、この時代にこの格好ってまずありえないよな。
服装から性別はもちろん身分までわかるこの時代。
汚れたっていいようにジーンズはいて、スタッフ用のジャンパーはおったワタシ。
女性がズボン姿、ということ自体が非常識だろうな…あはは。
「はじめは男かと思ったが…ご婦人でなかったらここまで連れてはこなかったがね。」
普段はうっとおしくもなる、この長い髪に感謝。
下手すりゃ殺されてるな、私。
長椅子にぼんやりと座る私の前に椅子を持ってくると、彼はそこに腰をおろした。
すらりとした体躯に夜会服がよく似合う。年はあまり若いとは思えない…四十は
とうにいくつか過ぎているだろう。
「すまないが、持っているものを拝見させていただいたよ。
あまり信じたくはないが、君はとても不思議な場所からおいでになったようだね」
そういえば…ポケットにはケータイとPDA。腕にはプロトレック巻いてるもの。
「信じていただけるなら…ここよりはるか未来から」
「…そのようだね。身に付けているものがあまりにも現実的ではない。」
肩をすくめて、彼はため息をついてみせる。
なんだか、空気がなごんだカンジ。一気に聞いてみよう。
「…わたしは、どこにいたんですか？」
「ここは、ある大きな建物の地下なのだよ。
君はこの地下にある大きな湖の入り口に倒れていた…今のところ、私以外にここへ入れるものは
数えるほど…いや、ほとんどいないと言っていいからね。」
そうか、時代としてはまだファントムとなった彼がここに暮らしてさほど長い年月が過ぎて
いるわけではないらしい。もちろん、彼にとって運命の女性・クリスティーヌとの出会いも
まだのはずだ。
「あまりにも接点がなさすぎ…なんでここにいたのかさっぱりわからない。」
夢とはいえ頭が痛い。
突拍子もないシチュエーションだからこそ夢なんだろうけど。
「きみの故郷は？」
「ここからずーっとずーっと東のちいさな島国…ジパング、といったほうがこの時代では
まだ名が通るのかなぁ…あ、今は何年ですか？」
「･･･1876年」
「じゃ、ほぼ120年ってとこかな？私がいたのは2002年の日本。あなたから見ると、スゴイ格好
でしょうね、私の時代ではごく普通なんだけど…」
そこで、思わず話がとぎれる…思わず彼を観察してしまう。
きれいに整えられた髪は黒かと思ったが良く見ると濃い栗色。
…黒ってイメージがあったんだけどなー。
顔の半分を覆い隠す仮面は白い…皮だろうか？
仮面ごしでも目の大きさがなんとなく不揃いなのが見て取れるようだ。
まじまじと顔を見ているのがわかったのか、彼の表情が恐ろしく冷たくなるのがわかる。
…ここで殺されても困るぞ。でも、露骨なほどの豹変がなんだかかわいく思えてしまったのも
事実で、思わず笑いかけてしまった。
とたんに、彼の表情はなんだか戸惑ったようなものに変わる。
「…君は、こわくないのかね？」
「へ？…なにが？」
…我ながらなんてお間抜けな返答。
でも、まさか「夢だから平気さ〜」なんて言えないよな。
「あなたこそ、怖くないの？どこから入ってきたのかわからない、
得体の知れなくてしかも『未来からきた』なんて言い張ってるミョーな女。」
口の端が軽くゆがんでる。笑ってるつもりなんだろうか。
「怖い、というよりは興味深いね。なにもかもが違いすぎて面白くすらある。」
「じゃ、その興味ついでに、しばらくここへおいていただけるとありがたいんですが。
なんせ、この時代のことはまったくわからないんで、放り出されると路頭に迷うしか
ないんでぇ……ね？」
手をあわせて、上目遣いに見てみる…かすかに震えてないか？
あ、わかった…笑ってるのか。
「困っているご婦人をここで放り出すわけにも行かないだろう…お好きなだけどうぞ。
ただし、客人としての分はわきまえていただくようお願いしますよ、マダム？」
「努力しまーす…なんにしても、よろしくご教授のほどを…あ、それと未婚ですので念のため。」
お互いに笑みを交わしたが…どっちも目が笑ってなかったよな…あーこわ。
よもや、これが「始まり」になろうとは、神ならぬ身わかるわけもなく。
かなり風変わりな生活は、ここからはじまったのだった。