Diva　〜緋薔薇の歌姫〜
 
 
 

＜耳に響くは君の歌声＞
 
 

深い意識の奥底で、誰かの歌う声がする。
歌うのは…ふたり。

時折笑い声をにじませながら、ふわふわと軽やかなソプラノを響かせているのは…わたくしだ。
技術もなく、心のままに小鳥がおしゃべりするように歌っていた、「あの頃」の歌声。

その声に、ゆったりとついていくやさしい低めのテノール。
おずおずとわたくしについてくるときもあれば、手をとって優しくエスコートするように
先だって響きもする、甘くやわらかな声。

あの声は…誰？

忘れかけていた、懐かしいなにかが浮かび上がってくる感覚。
手を伸ばしてそれを引っ張り出そうとしたところで、スイッチが入ったように意 識が浮上していく。

周囲で誰かが動く気配や、息を潜めたようなささやき声。
はじめはとても遠くで聞こえていたものがざわざわと少しずつ近づいてきて…

一瞬ぼやけたものの、すぐにはっきりした視界に飛び込んできたのは、
今にも泣き出しそうなラ・ソレリ嬢といつになく厳しい顔をしたジェラール だった。

「ああ、カルロッタ！気がついたのね…よかった。
　気分はどう？どこも痛くない？大丈夫？」

涙ぐみながらまくしたてるソレリ嬢の肩をぽんぽんと叩いて落ち着かせると、ジェラールは
右手でわたくしの首筋にやさしく触れた。

「ゆっくりでいいから声を出してごらん…そう、もう大丈夫なはずだ」

「あ…わたくし…ど……して…？
　ジェラール、舞台は…舞台はどうなったの…？」

声帯が震え、言葉がはっきりと音になる。
首をじかに触ってそれを確かめたジェラールは、わたくしの「どうして？」という言葉が
幾つもの意味を持っていたにもかかわらず、ゆっくりと頷くと話し出した。

「君が飲んだハーブティの中には、声帯を麻痺させるものがはいっていたんだ。
　医者は多分麻酔薬の成分だろうと言っていた。
　しばらくは長くしゃべるとだるさが残るかもしれないけど、後遺症や身体へ の影響はないそうだよ。

そして…終演後に贈るつもりだった薔薇とカードが盗まれていた。
　許しておくれ…うかつだった。」

言葉を切って、一瞬唇をきつくかみ締める。
こんなに悔しそうな彼の表情は、見たことがない。

わたくしがじっと見つめていると、ごく自然にいつもののほほんとした表情に
すぐさま戻って言葉を続ける。

「しばらく劇場は…休業状態だね。
　さっき警察の現場検証が終わったところだよ。
　支配人たちも、警察相手にまさかファントムの仕業ですと言うわけにもいかないし、
　誠に不本意ながらも老朽化が原因ということで落ち着きそうだよ。」

そこで一旦口を閉じたものの、もの言いたげな私の顔を見てすぐに言葉をつなぐ。

「幸いといおうか奇跡的にと言おうか、怪我人はかなり出たが死人は出なかった。
　大丈夫だよ…もちろん君のせいなんかじゃない。
　君は被害者なんだから、自分のせいでこんなことになったなんて思っちゃいけない」

わたくしの考えていることなんてお見通しといったように釘をさす。

ふいに部屋の片隅で静かにすすり泣く声が聞こえているのに気づいた。
身体を少し起こして見ると…カトリーヌだ。
わたくしと目があうとシニョーラ、とつぶやくなりまた嗚咽がこぼれだす。

「カトリーヌ？」 

呼ぶと、涙をぬぐおうともしないで、わたくしの横たわる長椅子へと近づいてくる。
ひざまづくなりぽろぽろと涙をこぼしながら

「シニョーラ…っ、わたし…気づきもしないでごめんなさい…」 

「あなたが悪いんじゃないわ…さぁ、もう泣きやんで。わたくしは大丈夫よ」 

手を伸ばしてその頬にふれる。
両の手でわたくしの手に触れながらなおも泣き続ける彼女を見ていると…改めて
ファントムへの怒りがこみ上げてくる。

彼は、亡霊であることを自ら放棄し、その姿を現した。
それは、向こうも覚悟のうえであることを意味している。

頭上に輝くシャンデリアが落ちるなど、一体誰が想像しただろう。
シャンデリアが落ちることで起こる惨事は子どもにだって予想がつくけれど。

今後、彼のすることはもっとエスカレートするに違いない。
次だって死者は出ない…とは誰も言えはしないのだ。

カトリーヌの髪をなでながら、わたくし自身は妙に冷静な気持ちのままいろいろなことを
考えて続けていた。

 
 
 

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